(1)プロローグ/幻の卑弥呼の国は・・・
幻の耶馬台国は どこでしょうか?
幻の耶馬台国は いずこなりや?
むかし
むかし
むかし
『魏志倭人伝』に書かれた
幻の女王の国
幻の卑弥呼の国は・・・。
あなたは どこから来たのですか?
そして どこへ行くのですか?
私は旅人
歩き続ける旅人
「未知」としての「過去」を探し求めて
「未知」という「過去」との出遇いを求めて
どこまでも
いつまでも
歩き続ける旅人
幻の耶馬台国は どこでしょうか?
幻の女王の国
幻の卑弥呼の国は どこでしょうか?
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(2)樹の精霊
あさくらは 精霊の国
小石原焼きの 小石原へ行って見給え!
英彦山の修驗者たちが
一本一本植えたという「行者の杉」
樹齢は二百、三百、四百
そして五百年。
中には「行者の父」「行者の母」という杉もある。
そして「行者の王」
それらは もはや杉の樹の精霊
杉の樹の魂。
彼らは
どんな声で 何を語り合うのだろう?
風や鳥たちと
どんなお喋りをするのだろう?
風や鳥たちと歌う
彼らの合唱を
こっそり 聞き耳頭巾で聞いてみたい。
むかし
むかし
むかし
あさくらの「名乗りの関」を
通れなかった旅人
通りたくない旅人たちが隠れたという
隠家の森
その隠家の森の 樹齢千五百年という大楠
根回り日本一という楠の樹の王者。
また 伝説によれば
甘木の 須賀神社の「青樟(あおぐす)」は
甘木の 安長寺の「赤樟(あかぐす)」と
人々が寝静まった丑三つ刻
互いにフクロウの声で
お喋りするという。
男楠の「青樟」と
女楠の「赤樟」は
フクロウの声で どんなお喋りをするのだろう?
こっそり 聞き耳頭巾で聞いてみたい。
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(3)菜の花の迷宮
あなたの
私の
君たちの
僕らの
おばあさんが歌っていた歌。
あなたの
私の
君たちの
僕らの
お母さんも歌っていた歌。
うららうららと 筑紫(つくし)春は
菜の花たんぼで 名高いお国
たんぼうらうら どこまで続く
菜の花こがねの 菜の花こがねの
御殿へつづく
(近藤思川・作詞『菜の花の国』)
あさくらは 菜の花の国
ああ その菜の花の
黄金色の迷宮
黄金の迷宮
その黄金の迷路に迷い
迷い
迷い
迷い
さまよい歩き
迷子になって 日が暮れた
幼かりし日々よ
たのしかった日々よ
ああ 懐しい
過ぎ去った日々の思い出よ
あさくらは 菜の花の国
その菜の花の
黄金の迷宮
「菜の花こがねの御殿」は どこでしょうか?
「菜の花こがねの御殿」は いずこなりや?
母よ
私は その幻の御殿を求めて
いつまでも
どこまでも
菜の花の迷路の中を
迷い続けて行きたい。
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(4)エロスとタナトス
人は どこから来て
どこへ行くのでしょうか?
むかし むかし
太宰府政庁の長官となって
はるばるやって来た 大伴旅人。
その旅人が 夜須のどこかで
独り酒を飲んだ
そのときの歌。
君がため 醸みし待ち酒 安の野に
独りや飲まん 友無しにして
(『萬葉集』巻四)
また 誰でも知っている
『小倉百人一首』の歌。
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ
(天智天皇)
また もう一首
『新古今集』の歌。
あさくらや 木の丸殿(このまるどの)に わがおれば
名乗りをしつつ 行くは 誰が子ぞ
(天智天皇)
いまから千三百何十何年か昔
あさくらから生まれた
古代史のドラマ
そして 謡曲『綾の鼓』は
そのドラマから生まれた
愛と死の物語
エロスとタナトスの饗宴・・・。
「これは筑前の国 木の丸の皇居に仕へ奉る臣下にて候。さてもこの所に桂の池とて名池の候に、常は御遊の御座候(ござそうろう)。ここに御庭掃きの老人の候が、忝(かたじけな)くも女御の御姿を見参らせ、しづ心なき恋となりて候」
(『綾鼓』)
人は生き
愛し
そして どこへ行くのでしょうか?
○おもひ子
いづれの星かわが庭に
落(おも)てわ子とはなりにけむ、
汝が愛らしき面(おもて)には
天(あま)つひかりの輝やけり。
いかなる書(ふみ)のかけりとも
徴ありともわかねども、
汝が顔ばかりいつ見ても
いつまで見ても飽たらず。
世のうさゆゑに晝(ひる)となく
夜となくくもる我が胸も、
ひかる汝が目に見られては
はれて嬉しくなりぬなり。
(宮崎湖処子・作詞『おもひ子』より)
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(5)樹の精と風と鳥たちのコロス
(ソロA)
幻の耶馬台国は どこでしょうか?
(ソロB)
幻の女王の国は いずこなりや?
(ソロC)
幻の卑弥呼の国は どこでしょうか?
(合唱)
ゲナゲナ ゲナゲナ
ゲナゲナ ゲナゲナ
幻の耶馬台国は甘木ゲナ
幻の卑弥呼の墓は「おんがさま」の町
三輪ゲナバイ
ゲナゲナ ゲナゲナ
ゲナゲナ ゲナゲナ
『古事記』に書かれた「高天の原」をば流れよる「天の安の河」ちいうとはな 小石原川んこつゲナバイ。
小石原川はな 昔は「夜須川」じゃったゲナバイ。
ゲナゲナ ゲナゲナ
ゲナゲナ話は 嘘じゃゲナ
いやーあ Sori Batten!(ソリ バッテン!)
天照大御神がお隠れになった「天の岩戸」
はな 宝珠山村の「岩屋」ゲナバイ。
(合唱)
ゲナゲナ ゲナゲナ
ゲナゲナ話は 嘘じゃゲナ
いやーあ Sori Batten!
ゲナゲナ話は 嘘じゃゲナ
いやーあ Sori Batten!
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(6)秋月の思い出
甘木 あさくらから
遠く離れて暮していた頃のこと
ある日 とつぜん
本棚に見つけた一冊の書物
それは 秋月の乱の 『秋月党』。
すると その背文字の向うに
たちまち甦える 秋月の思い出
まず 古処山の「大将隠し」
巨大な岩と岩に挟まれた「隠し砦」
また サムライたちの
聞こえるはずのない どよめきが
幻聴のように聞こえて来る
「杉の馬場」の 満開の桜のトンネル
そして 八丁越えの潭空庵の冷しそーめん!
ああ あの冷たかった冷しそーめん!
過ぎ去った
遠い夏の
秋月の思い出よ。
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(7)「婆沙羅」哲学
婆沙羅(ばさら)とは 何だろう?
何よりも まず 豊かさだろう
言葉の本当の意味における 豊かさ
そして ゼイタク
量だけではない 質のゼイタク
誇り高き 精神のゼイタクだろう。
あさくらは 水もBaara
緑もBasara
江川ダムの水も
寺内ダムの水も Basara
二百年 まわり続けて
いまや あさくら名物となった
二連水車 三連水車
田園のSLと呼ばれるお前は
あさくらのドン・キホーテだ
バサラ Basari
Basare バサロ
バサラ Basari
Basare バサロ
むかし 大友・秋月の両軍が
筑後川を挟んで戦った
その古戦場
原鶴温泉のお湯も Basara
柿食えば 鐘が鳴るなり 円清寺
杷木町の柿 杷木町のぶどうもBasara
ソメイヨシノ 四千本!
鬼の枕古墳と向き合っている
甘木・丸山公園の桜も Basara
悠然として 時間を超え
あわてず 騒がず
そして 少しばかりトボけた
少しばかりオドけた
あくまでも自由な精神
それが
あさくらの「婆沙羅」だろう。
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(8)エピローグ
筑後川、メビウスの帯のような
「過去」と「現在」が
「古代」と「未来」が
そして 天と地が
ちょうどメビウスの帯のように
くるりと反転する。
あさくらは そんな幻の宇宙だ
疑う者は
恵蘇宿(よそんしゅく)の木の丸殿から
筑後川を眺めてご覧!
ナイル河が ピラミッドを生み
黄河が 萬里の長城を生み
インダス河が
遙かなるインダス文明を生んだように
あさくらの歴史は 筑後川から生まれた。
筑後川
もとの名は 千歳川
またの名は 筑紫次郎
その 千年の川が生んだ
あさくらの伝統を
いま 私たちは語り継いでゆこう
未来に向って。
いま 私たちは歌い継いでゆこう
過去と現在につなぎ
古代を未来に くるりと反転させる
メビウスの帯のような川
天と地の境を
夢見るように流れる
永遠の川に誓って!
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