『 あさくら讃歌 』 


     (混声合唱組曲のための八篇の詩)

作詞/後藤昭雄 作曲/三善 晃

    (1) プロローグ/幻の卑弥呼の国は・・・

    (2) 樹の精霊

    (3) 菜の花の迷宮

    (4) エロスとタナトス

    (5) 樹の精と風と鳥たちのコロス

    (6) 秋月の思い出

    (7) 「婆沙羅」哲学

    (8) エピローグ/筑後川、メビウスの帯のような


 

(1)プロローグ/幻の卑弥呼の国は・・・

幻の耶馬台国は どこでしょうか?

幻の耶馬台国は いずこなりや?

むかし

むかし

むかし

『魏志倭人伝』に書かれた

幻の女王の国

幻の卑弥呼の国は・・・。

 

あなたは どこから来たのですか?

そして どこへ行くのですか?

 

私は旅人

歩き続ける旅人

「未知」としての「過去」を探し求めて

「未知」という「過去」との出遇いを求めて

どこまでも

いつまでも

歩き続ける旅人

 

幻の耶馬台国は どこでしょうか?

幻の女王の国

幻の卑弥呼の国は どこでしょうか?

 

(2)樹の精霊

あさくらは 精霊の国

小石原きの 小石原へ行って見給え!

英彦山修驗者たちが

一本一本植えたという「行者の杉」

樹齢は二百、三百、四百

そして五百年。

中には「行者」「行者の」という杉もある。

そして「行者の

それらは もはや杉のの精霊

杉の樹の魂。

彼らは

どんな声で 何を語り合うのだろう?

風や鳥たちと

どんなお喋りをするのだろう?

風や鳥たちと歌う

彼らの合唱を

こっそり 頭巾で聞いてみたい。

 

むかし

むかし

むかし

あさくらの「名乗りの」を

通れなかった旅人

通りたくない旅人たちが隠れたという

隠家

その隠家の森の 樹齢千五百年という

根回り日本一という楠の樹の王者。

また 伝説によれば

甘木の 須賀神社の「青樟(あおぐす)」は

甘木の 安長寺の「赤樟(あかぐす)」と

人々が寝静まった

互いにフクロウの声で

お喋りするという。

の「青樟」と

の「赤樟」は

フクロウの声で どんなお喋りをするのだろう?

こっそり 聞き耳頭巾で聞いてみたい。

 

 

(3)菜の花の迷宮

あなたの

私の

君たちの

僕らの

おばあさんが歌っていた歌。

あなたの

私の

君たちの

僕らの

お母さんも歌っていた歌。

 

   うららうららと 筑紫(つくし)春は

   菜の花たんぼで 名高いお国

   たんぼうらうら どこまで続く

   菜の花こがねの 菜の花こがねの

   御殿へつづく

    (近藤思川・作詞『菜の花の国』)

 

あさくらは 菜の花の国

ああ その菜の花の

黄金色迷宮

黄金の迷宮

その黄金迷路に迷い

迷い

迷い

迷い

さまよい歩き

迷子になって 日が暮れた

幼かりし日々よ

たのしかった日々よ

ああ しい

過ぎ去った日々の思い出よ

 

あさくらは 菜の花の国

その菜の花の

黄金の迷宮

「菜の花こがねの御殿」は どこでしょうか?

「菜の花こがねの御殿」は いずこなりや?

 

母よ

私は その幻の御殿を求めて

いつまでも

どこまでも

菜の花の迷路の中を

迷い続けて行きたい。

 

 

 

 (4)エロスとタナトス

人は どこから来て

どこへ行くのでしょうか?

むかし むかし

太宰府政庁の長官となって

はるばるやって来た 大伴旅人

その旅人が 夜須のどこかで

を飲んだ

そのときの歌。

 

君がため みし 

りや飲まん しにして

       (『萬葉集』巻四)

 

また 誰でも知っている

『小倉百人一首』の歌。

 

秋の田の かりほのの をあらみ

わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ

       (天智天皇)

 

また もう一首

『新古今集』の歌。

 

あさくらや 殿(このまるどの)に わがおれば

名乗りをしつつ くは 

        (天智天皇)

 

いまから千三百何十何年か昔

あさくらから生まれた

古代史のドラマ

そして 謡曲『綾の鼓』は

そのドラマから生まれた

愛と死の物語

エロスとタナトスの饗宴・・・。

 

「これは筑前 皇居臣下にて。さてもこのとて名池に、御遊御座候(ござそうろう)ここ御庭きの老人が、(かたじけな)女御御姿らせ、しづなきとなりて候」

                 (『綾鼓』)

 

人は生き

愛し

そして どこへ行くのでしょうか?

 

 

○おもひ子

いづれのかわが

(おも)てわとはなりにけむ、

らしき(おもて)には

(あま)つひかりのやけり。

 

いかなる(ふみ)のかけりとも

ありともわかねども、

ばかりいつても

いつまでてもたらず。

 

のうさゆゑに(ひる)となく

となくくもるも、

ひかる見られて

はれてしくなりぬなり。

   (宮崎湖処子・作詞『おもひ子』より)

 

 

(5)樹の精と風と鳥たちのコロス

(ソロA)

幻の耶馬台国は どこでしょうか?

(ソロB)

幻の女王の国は いずこなりや?

(ソロC)

幻の卑弥呼の国は どこでしょうか?

 

(合唱)

ゲナゲナ ゲナゲナ

ゲナゲナ ゲナゲナ

 

幻の耶馬台国は甘木ゲナ

幻の卑弥呼の墓は「おんがさま」の町

三輪ゲナバイ

 

ゲナゲナ ゲナゲナ

ゲナゲナ ゲナゲナ

 

『古事記』に書かれた「高天の原」をば流れよる「」ちいうとはな 小石原んこつゲナバイ

小石原川はな は「須川」じゃったゲナバイ。

 

ゲナゲナ ゲナゲナ

ゲナゲナ話は 嘘じゃゲナ

いやーあ Sori Batten!(ソリ バッテン!)

 

大御神お隠れになった「岩戸

はな 宝珠山村の「岩屋」ゲナバイ。

(合唱)

ゲナゲナ ゲナゲナ

ゲナゲナ話は 嘘じゃゲナ

いやーあ Sori Batten!

ゲナゲナ話は 嘘じゃゲナ

いやーあ Sori Batten!

 

 

 (6)秋月の思い出

甘木 あさくらから

遠く離れて暮していた頃のこと

ある日 とつぜん

本棚に見つけた一冊の書物

それは 秋月の乱の 『秋月党』。

すると その文字の向うに

たちまち甦える 秋月の思い出

まず 古処山の「大将隠し」

巨大な岩と岩に挟まれた「

また サムライたちの

聞こえるはずのない どよめきが

幻聴のように聞こえて来る

「杉の馬場」の 満開の桜のトンネル

そして 八丁越えのしそーめん!

ああ あの冷たかった冷しそーめん!

過ぎ去った

遠い夏の

秋月の思い出よ。

 

 

(7)「婆沙羅」哲学

沙羅(ばさら)とは 何だろう?

何よりも まず 豊かさだろう

言葉の本当の意味における 豊かさ

そして ゼイタク

量だけではない 質のゼイタク

誇り高き 精神のゼイタクだろう。

 

あさくらは 水もBaara

緑もBasara

江川ダムの水も

寺内ダムの水も Basara

二百年 まわり続けて

いまや あさくら名物となった

二連水車 三連水車

田園のSLと呼ばれるお前は

あさくらのドン・キホーテだ

 

バサラ Basari

Basare バサロ

バサラ Basari

Basare バサロ

 

むかし 大友秋月の両軍が

筑後川を挟んで戦った

その古戦場

原鶴温泉のお湯も Basara

柿食えば 鐘が鳴るなり 清寺

杷木町の柿 杷木町のぶどうもBasara

 

ソメイヨシノ 四千本!

古墳と向き合っている

甘木丸山公園の桜も Basara

悠然として 時間を超え

あわてず 騒がず

そして 少しばかりトボけた

少しばかりオドけた

あくまでも自由な精神

それが

あさくらの「沙羅」だろう。

 

(8)エピローグ

   筑後川、メビウスの帯のような

 

「過去」と「現在」が

「古代」と「未来」が

そして 天と地が

ちょうどメビウスののように

くるりと反転する。

あさくらは そんなの宇宙だ

疑う者は

恵蘇宿(よそんしゅく)の木殿から

筑後川を眺めてご

 

ナイル河が ピラミッドを生み

黄河が 萬里の長城を生み

インダス河が

遙かなるインダス文明を生んだように

あさくらの歴史は 筑後川から生まれた。

筑後川

もとの名は 千歳

またの名は 筑紫次郎

その 千年の川が生んだ

あさくらの伝統を

いま 私たちは語り継いでゆこう

未来に向って。

いま 私たちは歌い継いでゆこう

過去と現在につなぎ

古代を未来に くるりと反転させる

メビウスの帯のような川

天と地の境を

夢見るように流れる

永遠の川に誓って!

 

   



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